和尚が〈健康道場〉を去って一年が経つ頃、水口翔太は郷愁の念にかられて〈健康道場〉を見下ろせるこの地区に君臨した吉田家の庄屋跡に来ていた。既にこの地区の住民は高齢化のためにいなくなり、住民のいる民家が点々と散在する程度の状況で農地は荒れ果ててしまっている。そんな中で、この庄屋跡は府の文化財に指定されていることから、非定期に人が集まりそれなりに整備されている。水口の眼下には亀岡を経由して池田と舞鶴を結ぶバイパス工事が既に始まっていた。言うまでもなく〈健康道場〉も取り壊されるべく、重機がすぐ傍まで押し寄せている。
「和尚」
水口は6年間〈健康道場〉に通い、和尚と交わした時間を脳裏に思い浮かべていた。
走馬灯のように次から次へと思い出が蘇るうちに、感情が高ぶり知らず知らずのうちに目には涙が浮かんでいた。感傷にふけるにつれ無意識にぽつりと漏れた言葉だった。
和尚は最後の座禅を組むとき、「迷ったときには瞼を瞑れば良い。瞼の裏には自ずと答えが映し出されるはずじゃ」と言っていた。「そうは言うても、なかなか望むようには展開せ~へんのが人生っちゅうもんやで、和尚」水口は心の中で和尚に問いかけた。
〈健康道場〉を見下ろす庄屋跡の庭の隅には、腰を掛けるにはちょうど良い大きさの岩がある。その上で〈健康道場〉を見下ろしながら胡坐をかいていた水口はいつの間にか昔の習慣に従い岩の上で座禅を組んでいた。そして、知らぬ間に和尚が唱えていた念仏を唱えていた。それほどまでに水口にとって〈健康道場〉で座禅を組むということは自然体になっていた。
過去と違い、念仏を唱えるのが和尚ではなく水口自身であったが、水口の心に響く文珠は和尚の文珠と変わることなく、ごくごく自然に響き渡る文珠となっていた。
すると、どうだろう。
今まで水口の記憶の中にいた和尚が〈健康道場〉の濡れ縁に立っているではないか。
「えっ」
水口は半信半疑になった。
「なんで」
今まで、記憶の中にいた和尚が自分の目の前に立っている。
「和尚!」
和尚が水口の方に向かって振り返った。
「四国の生まれ故郷に帰ったんじゃあなかったんですか?」
「むろん、〈健康道場〉をたたんだ後、四国の山奥に戻る覚悟に何の迷いもないぞ」
和尚は、
「何を言うとんじゃ、こいつは」というような顔つきで水口を見返した。
水口は自問自答した。
「俺は記憶の中にいるの? それとも、時空をワープして過去に立っているの?」
長い修行のお陰で、水口は和尚に連れられなくとも自分の鍛えた霊力で過去にさかのぼれるようになっていることを、この時はじめて体感していた。
「これって、まさか!」
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